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2007年10月26日

浦和決勝!死闘PK戦 都築が止めた

24日、アジアチャンピオンズリーグ(ACL)準決勝第2戦でPK戦の末に
城南(韓国)を下し、日本勢として初の決勝進出を決めた。

こないだ家の前の公園に見舞いに来てくれた都築がやってくれた!!
そんとき、Jリーグとチャンピオンズリーグの両方で優勝懸かってるから
しんどいやろって聞いてみたら”キーパーやからそんなことない”というてた(笑)

ただフィールドの選手は大概しんどいはずです。とも言うとった。
でもほんまはキーパーも相当きついはずで動画みたら解るけど、一回
ボールをはじいて後頭部から落ちてるのに一瞬で立ち上がってボールを
かき出してる。こんなことが出来るのんも毎日本当にはげしい練習してるから
やろ。

ほんまにええもん見せてもうたで。

優勝したら銀座ですし食おう。

2007年10月24日

公園で関東煮(かんとだき)

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玉造BBQ同好会秋のSPECIAL企画 ”関東煮” を開催した 
上方ではおでんのことを”かんとだき”ということがあります。先輩方は
そう呼ぶことが多いようだし、お店の看板などでは、関東煮と表記して
いるほうが多いかもしれません。

単純に江戸から伝わった煮物というので関東煮と呼ぶらしいのだが
上方の人間が(そのライバル心から)そのままのネーミングで”おでん”
と言うのではなく関東と言う文字をはっきりと固有名詞にしていることに
わたしは若干の違和感を感じるのであります。

少し調べてみると、江戸末期に隆盛を極めたおでん屋が、関東では明
治に入り次第にすたれ、ほとんど省みられないメニューになっていった。
これが、大正12年の関東大震災で、被災者向けの炊き出しにと、関西
から「関東煮」がもたらされカムバックしたというのだ。

東京でもおでんの老舗といわれる名店が、関西風の飲める薄味おダシ
になっていることが多いのは、この時の"逆輸入現象"に負うところが大
きいといわれているそうです。 

なるほどそういうことがあったのか

へんに納得をしたわたしですが、味付けはというと関西風、関東風というよか
高級おでんはだしが透き通っていてあっさり、庶民風が濃いしょうゆ色で濃い
口のような気もします。

写真では具が溢れていてだしの色がわかりずらいですが、結構濃い口でおい
しい関東煮ができました。

2007年10月15日

自宅療養中

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手術後約2週間の入院予定であったが、経過も良好な上、病院から自宅まで
徒歩10分の距離であるため10月10日より自宅療養をしている。

しかしながら全身麻酔6時間の手術の後遺症か数日前まで非常に疲れやすく
今は大分元気であるがまだまだ本調子には程遠い感じである。

傷口の方は表面上は完全にふさがっており、入浴という1つの楽しみが出来た
それとリハビリも兼ねて自宅前の公園で過ごすマッタリとした時間を過ごしている。

入院期間中に名古屋店がオープンし、展示会のほうも無事終了したようだ。

とくに展示会の方は、寸前まで準備に追われていたので、参加できないのが
非常に残念であった。 実はなんとか東京の展示会に行こうと、先生に”もう
大丈夫です”と無理やり退院したのだが、ココで我慢するのも勇気であると
自分に言い聞かせて、自宅待機しました。

入院中そして自宅療養中沢山の友人に見舞っていただき本当に感謝します
はやく元気になってお返しが出来るように頑張りたいと思います。

5年分くらいの果物をこの短期間で食べました。

もうメロンは結構です(笑)

2007年10月07日

がん細胞切除成功

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(吉田栄宏Dr.) 私の主治医であり今回のオペの執刀医である。

通院時は木ノ内Dr.が主治医であったのですが、入院後彼に代わる
ということになりました。手術の説明は患者の気持ちを配慮しつつ
わかりやすく、自信を持って答えていただけるので、手術に対する
勇気がわき決心がつきました

ありがとう 吉田先生

今日で術後6日です。経過も良好で来週にはもう退院できるようです

それと、なんと偶然にも吉田先生は7年来のFULLCOUNTのお客様で
いまも通勤時は0108を愛用してくれているそうです。

僕の命を救ってくれた先生が僕の作った服を着ていたことは、偶然に
してもとても嬉しい出来事でした。

横腹に出来た約30センチの傷跡のステッチ幅も均等でありながらも
どこか古きよき時代の匂いを感じる味のあるものですよ。

さすが吉田先生 G.J.