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Nicholas Taylor

NICHOLAS TAYLOR

音楽とアートの手を握り、NYのアンダーグランドシーンを駆け抜けた、
ニコラスタイラーによる”軌跡=写真”


1980年代のアメリカ美術界は、ニューヨークを中心に、新しい時代の到来を予感させる変動期を
迎えていた。
70〜80年代前半にかけて、かって国内の美術館が掌握していた芸術の発展・市場における役割を、
徐々にギャラリーが担うようになり、1960年代に生まれた美術と音楽の繋がりが、
かってないほど強固なものとなっていた。
当時、ある種の社交場となっていたのが“ナイトクラブ”であり、ありとあらゆる層が顔合わせできる
スポットとして急速に発展していった。
すべての壁を取り払った人物は、アート界のカリスマ、アンディ ウォーホルである。
いくつかの有名なクラブの中で、もっとも刺激的だったのが、チャイナタウンにあった
“マッドクラブ”であった。
様々なカルチャーが混在するカッティングエッジーな空間であったためか、
他ではありえないファッションと音楽が存在していた。
だが同時に、常に危険が隣り合わせていたという。
いわゆるディスコとは一線を画す場所として支持を受け、有名無名問わず、
夜な夜な多くの人々が集い、若くバイタリティに溢れた、
ニコラス タイラーとジャン=ミッシェル・バスキアという、2つの才能の出会いの場でもあった。

現存するバスキアのポートレイトや自画像の大半は、他者を寄せつけないほどの、
圧倒的な存在感と緊張感を映しながらも、内には、不安や孤独感などが含まれ、
深い闇を潜めている。だが、タイラーが捉えた肖像は、それらと対照的で、
みずみずしく未来への希望に満ちた表情を浮かべている。
これらは、表面的に人物を撮っただけの写真ではなく、写真家の内面や感性をもが
被写体として写し出され、切り取った瞬間さえも味方にしている。
直観力と時代背景が重なった、ヴィジュアルエナジーに溢れた作品だといえよう。
これを機会に2人の交遊がはじまり、
この後ヴィンセント ギャロら数名と、伝説のアーティカルバンド“GRAY”として行動を共にした。 

GRAYはわずか数年で解散した。その後、バスキアはペインティングに、タイラーは音楽に、それぞれの情熱を費やしていった。

タイラーが20年以上前に撮った10枚のバスキアの顔写真は、
彼自身の手による加工で再生され、2004年にアメリカで個展が開かれた。

"芸術を創造するという行為は、人間が生まれ持って授けられた自然の営みで、
私達は表現を行いながら夢を具現化していくのです。
種がいつか花を開くように・・・。”


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